祝・成人

2001年5月9日
とうとう20歳になった。

20歳になったからと言って、自覚があるかと言うわけでもなく

ただ、何時の間にか来たなという感じの誕生日だった

本当にふつーに一日が終わりそうだったので、それもなんだか妙に嫌だったので

コンビニで杏露酒とデザートを購入

一人で酒盛りをした・・・・・余計にむなしくなった(泣笑)

相方は(まぁ最近会ったばかりだし、今日平日やし)来る気配も祝いの一報すらない

こういうところに関しては全然気が利かない人間である

(今に始まったことではないが)

気分は最悪、沈みっぱなし

そんな時に私の部屋を訪ねる者あり、斜め向かいの家に住む我が父の友人の娘でだった

現在中学二年、彼女が赤ん坊の頃から知っている事もあり、私に随分なついている

そんな彼女がプレゼントを持ってやってきたのである

妙に感動してしまった(笑)と言うか今までがむなしすぎたからだろうか

その後二人で雑談しているうちに、開きなおった(笑)



USJ

2001年5月3日
行って来ましたUSJ!

入場するだけでも一苦労した、私たちは前売り券を持っていたから良かったものの

入場制限が発令され当日券目当ての人々は門前払い状態だった

これはおそらくあとになって問題になるだろうと思った

GW中当日券も販売していると言うTVCMを堂々と流していたのだから。

さて、USJの中だがとにかく広いディズニーなんかよりよっぽど広い

18あるアトラクションの中でジョーズは何とか一時間で乗る事が出来たが

バックドラフトは一時間四十分(汗)

ウォーターワールドは次のショーを待つ人が定員以上並んでる様子(泣)

ジュラシックパークは三時間待ち(笑)

なんだか笑けてきた・・・、仕方ないのでジョーズから出てきたところで昼食を取る事にした

昼食を取るのにも時間がかかる(まぁ当たり前だが)

町並みのつくりは結構本格的だった、所々あやしいところもあったが(笑)

そんな中でドンッと置かれていた昔のアメ車はかっこよかった

それを見て一番喜んだのは我が父であったことはいうまでもない(笑)

いろいろと歩きまわり、知り合いなどに土産を買い家路(私の部屋)に着いたのだった。


お久しぶり!!

2001年5月2日
学校の授業の代弁を友人に頼み(笑)

一路、阪急で大阪は梅田へ荷物を持って直行。

今日から約4・5日ほど両親と行動を共にするためである

梅田駅到着、初めて一人で梅田に来るとはっきり言って迷う(泣)

一応看板はあるものの、地下街が複雑につながっていてどの道を行っていいやら

あと、ここで空港以外で初めて動く歩道設置されてるのを見た

その上をさらに歩くのはまだ解るとして、ムチャムチャ早歩きで駆け抜けてゆく人々

さらにどっかで見た信号には青になるまでのカウントダウン表示ついてるし(汗)

しかも、四秒前から動き出す人居るし(恐)

カウントゼロになる頃には道には人がいっぱいなっている・・・・・・さ、流石は大阪

でも、この狭い日本そんなに急いでどこに行く?(笑)

やっと両親のいるホテルにたどり着いた

久々に見る我が両親

と言ってもそんなに感動するでもなく、ただなんとなく久しぶりとしか思わなかった

昼食をおごってもらう、久しぶりの外食(結構上等なもの)美味であった(笑)

第二回たこ焼き会

2001年4月29日
今回は四年制大学のほうの新たな友人達を招いてのたこ焼き会。

さらにこれに我が相方&とろるが参加、最初は初対面(新友人と相方達が)である事に少々不安も感じていたが

その心配は無用だったようである(笑)

とろるは連日のサークルの新入生の勧誘活動のおかげでかなりハイテンションに色んなことを聞きだせるようになっていた。

うーん・・・・・それなりに成長?(笑)したようである。

新友人は門限のため夕方には引き上げた

その後残った三人でかねてから行こうと言っていた卓球場へ行き一時間ほど卓球に明け暮れた。

それからまた我が家に戻りいろいろと雑談したりしてお開きとあいなった。


河原にて

2001年4月27日
今日は短大の方の新入生歓迎会(近くの河原で焼き肉、焼きそば、うどん、野菜の争奪戦(笑))

それになぜか私も新入生?として混ざることになった(笑)

行くと短大の時の友人達と久しぶりに会った
実習室は目と鼻の先なのになかなか普段会えないものだなぁと思った。

と思っていると、うちの学校の学生が河原を埋め尽くしている中で
どう見てもそれとは違う人たちが混ざっていた。

どうやら私たちより先に来ていた先客らしかった。

そこへ友人の一人が
「あの人たち、ドラマの撮影隊で今日はその打ち上げなんだってー」と教えてくれた。

さらに、もう一人が「橋爪 功がいるー!」
と指差す方を見ると黒山の人だかりが出来ていた。

その中に確かによくテレビで見る顔がいた・・・
俳優 橋爪 功氏、うちの学生にサイン攻めの嵐に飲み込まれそれに怒りもせずに応じる姿は涙ぐましかった(笑)

とか言う私もちゃっかりサイン書いてもらっていたりするのだが(再笑)

焼肉争奪戦が加熱する中、空はだんだん暗くなり火を焚いている所以外が見えなくなりそうになると

撮影隊の照明のひとがロケバスから野外撮影用照明を出してきて河原をライトアップしてくれた。

なかなか粋なことをしてくれる(喜)

今年の短大の新入生歓迎会はこういう、うれしいハプニングのおかげで大成功だった。




ビデオ

2001年4月19日
今日は新入生対象の図書館オリエンテーションなるものがあった

実を言うとサボりたくてたまらなかった。

私は昨年にも受けたからだ、その時に見たビデオがあまりにもアホらしいと言うかくだらないと言うか・・・・

真面目なところはちゃんと説明としては良いものとなっているのに

他の無理やりすぎる(笑)恋愛?の始まり?みたいなドラマっぽい事をやっていて

教育ビデオ特有のオーバーなリアクションが教室中の笑いを誘ったことは言うまでも無い。

また同じのを見るのかと思うと気分が重かった

で・・・・・今年のオリエンテーションは案の定また同じビデオを上映した

そしてまた今年も教室中は笑いにつつまれたとさ

おしまい(笑)

学校

2001年4月17日
本日の工芸演習では「藍染め」をした。

「藍」と言っても時間の関係で科学染料のインディゴピュアを使った

天然の藍は日本だけでも阿波藍、すくも藍etc

海外ではタイ、中国、各民族ごとに独自の藍を持っており、有名なのはインド藍などがある。

原液から布を取り上げる時

布に染み込んだ藍が空気に触れて酸化しみるみる青さを増していくのがなんとも言えなかった。



たこ焼き会

2001年4月15日
本日は短大の友人達四名を私の部屋に招き、地元で買った格安電気たこ焼き器を使って(笑)たこ焼き会を開いた

我が相方も乱入(?)し私を含めて計六名となり部屋は大賑わいだった

たこ焼き器の穴は18個、一回につき一人3個づつ・・・・

たこ焼きだけではどうも足りなさそうだったので、前に作っておいたミートソースがあったのでパスタを茹でた

その後近くのカラオケボックスへ繰り出し三時間熱唱(笑)

久しぶりに歌いにいくと自分がつくづく近頃の新曲状況を把握していないのに気が付いた(涙)

と言うよりも私の音楽の好みのジャンル自体が歌番組やらに関係が薄いせいもあるのかもしれない

私の趣味は映画、ドラマのサントラ、インス系の曲がほとんどで今持っているのは

「姫神」「宗次朗」「久石 譲」「坂本 龍一」「エニグマ」の曲
「タイタニック」「ディープインパクト」「アルマゲドン」「UNDO」「NIGHT HEAD」「宮崎アニメ作品」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」などの映画サントラ

「ラビリンス」「踊る大捜査線」などのドラマサントラ

今お気に入りなのはカウボーイビバップのサントラがいい!!菅野ようこさん凄すぎやわ流石変人(笑)

あとほしいのはルパン三世のジャズCD三部作でも金がない(涙)

あああああ金がほしーーーーーーーーーーーい!!

校外実習

2001年4月12日
本日は校外実習と言うことで、国立京都博物館にて「菅原道真公1100年祭記念・北野天満宮神宝展」を見にいった。

この博物館の建物は私的にはとても気に入っている特に正門から本館を眺めるのは最高である。

洋風のたたずまいの中によく見るとレリーフ部分が天女(?)が彫り込まれていて日本風の装飾が施されている

で、肝心の神宝展の方は流石は約1054年前から現在まで続くだけあって各時代の作品が勢ぞろいしていた、奉納された松梅図、束帯天神図、屏風どれもこれも当時の有名作家の作品。

今回一番見れてよかったのは「北野天神縁起」の承久本だった、今流行の「陰陽師」の話の軸にもなっている管公(菅原道真)の生涯と死後(こちらが主)、幾つもの天変地異(管公のたたりとされる)を静めるために管公を祭る天満宮建立にいたるまでの物語が鮮やかな色で描かれている巻物である。

これは一見の価値有り!!!
京都在住の読者様方、一度足を運んでみてはいかがでしょう?

二度目の入学式

2001年4月4日
昨年と同じ日にまた同じ場所で入学式(笑)

なんだか複雑な気分だった、ただ違うのはこんどは短大生ではなくて大学生であることだ

これで、この京都に五年いることになる。親にとっては大迷惑極まりない娘であろう(笑)

入学式は短大の時と変わりはなかった、うちの学校は仏教系のため・・・・・式の途中に「般若心経」を唱える(死)唱えることを死っていても、やはり引いてしまう。

と言うよりも引かない方が無理な話である(笑)

周りを見渡すと短大の時より人数が約四分の一ぐらいしかいなかった
私の所属する日本画専攻にいたっては28人しかいない全専攻合わせて154人・・・・この人数で4年間か、一期生に限っては全員と或る程度の顔見知りになりそうだ。

父上来たる!

2001年4月3日
いらっしゃい(笑)

遥々地元から仕事の合間をぬってやって来てくれてありがとう父さん

父さんが来たことによってかなり救われた気分だ(相方にはよく「お前ファザコンだろ」と言われる(笑))

はっきり言って、母との二人暮らしは精神的に疲れる物があった。実家では別の部屋に居たりして一人の時があり、プライバシーは或る程度守られていた。

だが今回はワンルームに二人。

プライバシーなんてあったもんじゃない、一緒にいる時間が長い分、私の行動がいちいち気になるらしく何かと口出ししてくる。

言われなくても解ってるようなことでも何回も繰り返す
「掃除」の名のもとに勝手に台所の物の配置を変えたり、服の入れてる所変えたり、ここで生活するのは私なのに最終的にこの部屋は母の部屋と化した

私の意見はどこにも反映されていない

似たような事が昔もあった、高校時代に演劇部に在籍する友人から劇中に登場する天使の翼を造ってくれという依頼を受けた

実家の自室でその翼を製作していたところ、そこへ母がやってきた。

私の作っている翼に興味を持ったようで、最初は見ているだけだったが、途中から「ここはこうした方がいいんじゃない?」といって私の返事を聞く前に翼の一部に勝手に手を加えてきた

まるでさも自分が造っているかのようになんの躊躇も無いのだ
普通は手を加えて良いか聞くのが筋だ、それがこの母には通じない

私は「やめて!!!!」と半分喧嘩口調で言い放ったが
母は「こうした方がいいの」と言ってやめない

それから何度も手を出すなと言っても何かと手を出したがる、私自身ちゃんと耐久性や見栄えのよさを考慮しているのにも関わらず、自分の作品にしようとする母

挙句の果てに母の手を加えようとした所が失敗しそのパーツが使い物にならなくなった。その時点で「もうやめて!!」と叫んでやっと手出しするのをやめた、でもやはり不満そうだったのを今でも覚えている。

今回もそんな所があった、今回は私の事を思っての事かもしれないが、せめて私の意見ぐらい了解ぐらい聞いてほしいものだ


京都

2001年4月1日
久しぶりの京都は寒かった(涙)

地元に居た時とは違うと思ってはいたがここまで寒いとは思わなんだ

もう春だと思って、送った荷物の中には冬物はほとんど入れてなかったことをかなり後悔した

帰ってきて改めて地元とは人口密度が違うのがわかる、(地元の密度自体が薄いせいもあるが)

本来ならば今年でこの都から去らなければならなかったのが、あと四年過ごせることになって嬉しくいい気分だった。

これから、どんな事があるかはわからない

この四年間で私にどんなことが出来るのだろうか?

おそらく、色んな人々に出会う事になるだろう

いい出会いも、悪い出会いもあるだろう。

何をするにしても後悔の無いように過ごしたいものだ

病院

2001年3月29日
今日は、ほぼ半年振りに定期検診を受けてきた。

昨年の入院騒動のおかげで最初は月に一回のペースと言う間隔だったが、毎回異常が無いため(あったらあかんがな(笑))

近頃は三ヶ月に一度から半年に一回になり、今回も異常なしとの事で八ヶ月後とあいなった。

家に帰ると目前にひかえた京都帰還のために荷造りをした、やはり母はついて来る気らしい・・・・。

二度目の入学式でも来るのか?しかも短大と四年制大学との違いはあれど場所は同じだぞ(汗)

さらに父上まで式の前日にやってくる(笑)・・・な、なんだかなぁー、複雑な気分だった。

二度目の入学式を迎えるにあたって、ちかみん曰く
「ダブりや(笑)」

ダブり言うな(笑)出世とお呼び(再笑)

現時点ではっきりしている事は、最低4日間も母と二人暮ししなくてはいけないと言うことだ。
ああぁ考えるだけで気が重い。

美術館

2001年3月24日
今日は地元の県立美術館にて、名画に描かれた人物を自分の顔にすりかえたポートレートで有名なかの森村泰昌氏と画家合田佐和子氏のトークショー(?)が行われていた。

このイベントは帰省する前から楽しみにしていた。

今回はじめて森村氏の実物(笑)を近くで(前から二列目の席)見ることが出来たのだが
思ったより小柄で、色白で、手は指がスッと細くて女性みたいな手だった。
流石・・・・女装するだけはある(笑)

そして合田佐和子氏にいたっては、恩年60歳とは思えないくらい綺麗な人だった。
森村氏も白いがもっと白い・・・・(その白さ分けてくれ(切実))あと、細い・・・・・・こういう歳の取り方をしたいとせつに願いたい!多分無理だろうが(涙)

とか考えてたイベントも始まって一時間もしたころ

突如、建物全体が揺れ始めた(汗)

「地震?」

観客席からはどよめきが起こり、司会進行役の学芸員は「皆さん落ち着いてください!!!」とマイクで呼びかける

そうこうしているうちに揺れは激しくなり、ステージ天井の照明も揺れ始め

真下に居た森村氏と合田氏はとっさに席から退いた

ステージの奥からは大道具がぶつかりあっていると思われる「ゴウン、ゴウン」と言う音が響き渡り

どよめきはざわめきに変わった。

我ながらこの時は流石に危機感を感じた(汗)

が・・・この時点までがこの地震のピークだったらしく、すぐに揺れはおさまっていった・・・・。

会場全体が落ち着いたところで、職員の人がやって来て司会に地震の最新情報の書かれた紙を渡した。

それによると、先ほどの地震の震度は「震度5弱」との事だった

これで5なら6・7はどんなんやねん(大汗)
ついでにこのイベントどうなるんだろう?とか考えていると・・・・・イベント再開。

こ、根性ー?(笑)

かくしてその後は余震も起こらず、円滑(?)にイベントは進行して終了にまでこじつけた。

おそらく、私の地元は森村・合田両氏にとって忘れられない地となっているだろう。

なにせ震度の強さによっては・・・・・さよならだったかもしれないのだから。

お久な人々

2001年3月23日
今日は、小学校時代の友人二人を招いて茶会を催した(飲んだのはコーヒーだったが(笑))

私が言うのはなんだが二人ともあまりにも変わっていなかった

友人の一人は福祉系専門学校生、もう一人は私立短大の保育科、私は芸術系大学と文系であるということ意外やっていることはバラバラ

だが他の分野の学校がどんなことをしているのかが垣間見えてよかった。

あとは小学校当時の同級生のその後と言う奴を聞いた、もう子供を産んで育てている人、中絶した人、浪人生、社会人、お水、大学生・・・・・

なんか信じられなかった、特にこの二人を見ると世界は平和なんだぁと思えてくる(笑)

人それぞれ先はどうなるかはわからないと言うが、結構この人はこう言う風になるだろなみたいな予想がつく。

私はこの予想をいい意味で裏切ってくれる人間が見たい、というより。

予想がつかない事をする人間に魅力を感じる。
私の予想を裏切り続けてくれるような友人がほしいと思う。


踏んだり蹴ったり?

2001年3月22日
今日は、祖母と母と三人で日帰りで温泉にでも入りに行こうと言う企画?のもと朝10時半に家を出た。

途中で土産物屋に寄ったり、昼食を取ったりしながら母の運転する車に揺られながら温泉を目指した

行く道々思ったのは道路が、かなり広げられえたり再舗装されたりして景色が違って見えた事だった。

雨も降っていないのに雨漏りしていた(よくよく考えなくても危ない(笑))トンネルは大きさも拡張され壁も全面改修されもうスリルを味あわなくても良くなっていた

多分、来年行われるイベントのためだろう。市内には新しい競技場やら、ホールやら出来たり、駅前とかなんかものごっつ急いで工事してるし

知事さん頑張りすぎやわ、てか今までがゆったりしすぎだった気もしなくも無いが(笑)

とかくあの方が県外からやって来てからというもののそれまで止まっていた作りかけの鉄道の工事とかガンガン動きだした・・・・

こんなド田舎も変わっていくのかと時の流れを感じた

そうこう考えてるうちに例の温泉が見えてきた、母と祖母はうれしそうである・・・・これから観る現実を知らずに

だが入り口に着くとそこには看板が一つ

     「本日22日木曜日休館日」

人は予期せぬ事に直面すると笑う。はるばるやって来て、さあ入れるぞと意気込んだ矢先の看板これが笑わずにはいられるであろうか(笑)

他の温泉に行こうにも時間的にきついものがある、仕方ないので近くの喫茶店に行くと

        「木曜日定休日」

・・・・・・さらに笑えて来る、壺に入りそうな勢いだ。

今度は市場に行ったそこはちゃんとやっていた、新鮮な魚がいっぱいだった、そこで今日の夕食になるであろう魚を購入し

私達は帰路についた、温泉に入りに行ったのに温泉に入らずして帰るとは・・・・・・。

はっきりいって「喜劇」だ。 

パーマ

2001年3月21日
初めて、外はねのパーマをかけた

某RPGの関西弁少女のような頭になった・・・・

人によっては賛否両論を招きそうである。

おそらく、相方には文句たらたら言われるだろうな

幼なじみ?

2001年3月18日
かつて我が家では柴犬を飼って(?)いた

私が物心つくころにはそいつは時々家のなかで寝転がっていた。

とにかく変わった犬だった、私は一度も散歩に連れて行った覚えが無い

自分で勝手に散歩してくるのである。

三日に一度居なくなり一週間以内に帰ってくるという事を繰り返すのだ

時には何故か12キロ先の町まで行ってたり、また何故か9キロ先の町の交番の犬小屋に居るわ、保健所につかまりガス室一歩手前までいくわ

もし人語が解るのであれば「お前何やってんねん」の一言でもいいたかった(笑)

行動範囲の広い分、この犬を知る人間はかなり多かった。

この犬のつけている首輪に名前と我が家の電話番号が書かれてあった為に一応我が家の犬と言うことになっているだけで

我が家に居ない間は他の家を転々としているのだった。

そんな自由奔放な日々も終わりは来た

私が中学一年の終わりごろ、年老いて痩せていた犬は放浪先で倒れている所を見つけられ我が家に担ぎこまれた

しばらく母が薬や流動食を与えたりして看病にあたったのもむなしく、彼は約13・4歳の生涯を閉じた。

今日、彼の墓参りに行った

とある山奥にあるペット用の墓に6年前埋めた

久しぶりに行くと、霊園(とは名ばかり)の規模は倍以上になっていた

墓も物によっては人間並みのものまであったのには少々戸惑った、
そこまでする人は多分その愛情を与えたいと思った人に与えられなかった人なのではないかと思う。
違う人、本当に動物好きな人もいるのだろうが、少なくとも私はこう言う印象を受けた。

ああいう犬が一人の(少数の)愛情を一身に受けた犬だとすれば、彼は大勢の人々の好意に出会った犬どろう。

多分、彼が死んだ事を知っているのは我が家の関係者と一部の人だけだろう、他の人の中には今でも「またあの犬くるかな?」と思っているかもしれない。

大勢の人々の記憶に残るあの犬はある意味、私よりよっぽど偉いのかもしれない(笑)

いつのまにやら

2001年3月17日
カウンター1100番題突破している(驚!)

すげー、我ながら(笑)述べとは言え、この日記が千百回以上開かれたと言う事実。

この日記昨年の10月からつけているのだが、最初のうちはカウンターの回りはほとんどなかった。

途中一月以上休んでいたせいもあったりでほとんど知り合いの人しか見ない状態

それが今もずっと続いているものと思っていたら、ここ最近暇があって結構休んでいないこともあってか、数字の増え方が大きくなっていてびっくり!!

てか今現在、一体何人がこの日記をいつも見ているんだろう?

自分で把握できてる(顔も知っている)のは約4名そかいない。

この日記をいつも見てくださってる方々へ
こんな日々の愚痴並びにアホな自論展開させちゃってる日記ですがこれからもどうぞよろしゅうに。

映画

2001年3月16日
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観た。

ドキュメンタリーとミュージカルがを二元的に組み合わされた構成になっていた。

ストーリーは当初、噂やらを聞いて良い話系の感動ものとばかり思っていたのだが・・・・・・・

題名に「ダーク」とあるがこれは主人公が盲目である事をかけているのだが物語もある意味ダークである。

この物語の結末は(まだ観ていない人はごめんなさい)主人公の絞死刑シーンで幕を下ろす。

普通なら暗転して細かくは見せないであろうものが主人公の最後のミュージカル舞台として映し出される

一刻、一刻迫る「死」への恐怖、泣き叫ぶ主人公の姿は痛々しい・・・・・。

主人公の立場をここまで追いやったアメリカの裁判のシーンでこの映画の監督の反米感情が剥き出しにされている

アメリカが自慢している裁判制度をこれでもかというくらいに踏みにじってくれているあたりがよろしい。

この映画は母の子に対する愛情、友情、世の中に対する歯がゆさなど主人公の心の中のミュージカルで感動をあたえる映画と言うよりも、反米感情映画と呼んでもいいのかもしれない。

主人公を演じたビョーク
この方はすごい!演技もすごいが声がいい。
サントラ購入決定。

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