一日遅れの

2001年3月15日
お返しの日を相方は覚えていたようである。

どちらかと言うと私のほうが忘れていた((笑)その証拠に当日に美容室に予約を入れていた)

本日会っての開口一番「・・・・・・短かすぎじゃー!!」と嘆かれてしまった。

彼の趣向的には髪は長い方が好みらしい、野郎の抱く願望と言うか妄想ていうのは・・・・・。

とにかく一日中ことあるごとに私の後頭部をなでては「短い。」と文句を言われ続けた、

髪はそのうち伸びるちゅーねん!文句言うたら速く伸びるんかい!(笑)

バッサリとな

2001年3月14日
今日髪を切った

我が人生において、最短(髪の長さ)記録である。

頭が軽い、かなり涼しいついでに・・・・ただでさえ丸い私の顔がさらに丸く見えてならない(笑)

今回行った美容室の人は、なかなか面白い人物だった女の人なのだが性格が気持ちいいくらいサバサバとしていた。

ただ一つの難点は見た目が・・・・少し怖い(笑)会話のぎこち無さがとれるまで時間がかかる。
(なれると良い人ってわかるんだけどね)


終わり?

2001年3月13日
トラック色塗り完了!

手直し命令が下らなければこれで終了である。

願わくは文句言ってこないでね依頼主さん(笑)

さて、今度からは何をしようかのー?(バイト)

見つかったところでうちの会社の茶くみが関の山かなぁ?

まぁ明日があるよ?

そういやあのCMを原作にしたドラマが始まるらしい、題はもちろん「明日があるさ」(大笑)出演者はやっぱりCMと同じく吉本芸人総動員。

見る人いるんかねぇー。

やっとこさ

2001年3月12日
本日やっとトラックに下描きをすることができた。
最初考えていたものとはかなり違ってはいるが、ここまでこぎつけると意外と思い入れが出で来るようである。
もう、適当にやってしまおうと思っていたのに、いざ下描きをはじめると適当には描きづらい・・・実は真面目に描くより適当に描くほうが難しい(笑)
色塗りの時に苦情が来ないか心配だ。
でも、絵の部分は極力抑えたし何とかなる・・・かな?
今日、工場に行くと例のトラックの下地が塗られていた。
それを見ての第一声「最悪。」
当初の予定とはまったく違う色が塗られていたのである
私達サイドからはちゃんと「山吹色に近い濃い黄色」と言ったはずなのに・・・・・なぜか地味なアイボリー(肌色っぽい色)になっていたのだ、上に塗る他の色は注文どおりに届いてんのに?
色的に合わせられなくはないが・・・また考え直しだ(涙)
さらに、この仕事を一緒にやっている工場の娘さんである詩摩ねーちゃんは風邪で倒れるし、依頼主やってこねーし、勝手に手つけるわけにはいかないしで見かねた工場のおっちゃん(父の友人)が今日は中止にしてくれ、いきなり私は暇人となった。
(ねーちゃん早く復活してくれー!!)

その後いろいろあって、その暇人に付き合わされたのは相方であった。
結局カラオケで一時間半熱唱。
かなり憂さ晴らしになった、すまない相方(体調くずれてる元凶は私かもしれないな)。

吹雪

2001年3月8日
ふと外を見ると・・・・・白かった。

一瞬「ここどこよ?」と言いそうになった

雪なんぞ、5・6年に一回降るか降らないかというこの土地で吹雪を見るとは思わなかった。
相方と会っているさなかの出来事であった、外は見るからに寒そうな上に吹雪がおさまる風でもなく、私は家が近いからまだ良いものの・・・・一番大変なのは相方である。
彼の実家は約16か7キロ先の某市にあり、今日は(今日に限らずいつも)そこからチャリでやって来ている。
この中をチャリで16キロ走り抜くともれなく風邪か肺炎かインフルエンザかが付いてくる
しゃーないので、外に出ずに一時間ぐらい待っているとようやく吹雪はおさまった。
しかし、おさまったとは言えかなり寒い。
(これでは京都と変わらないではないか(涙)里帰りしたら暖かく過ごせると思っていたのに、なんでこう異常気象なわけ?)
まぁ、なんとか相方は帰って行った。
ただあとから聞いた話では、彼は実家の近くまできた所で家の屋根に積もっていた雪がとけて落ちてきた塊の直撃を受けた模様(笑)
怪我しなくてなによりだが・・・・なんでそんなに運が悪いの?

おかえりなさい

2001年3月6日
おかえりなさい我が相方よ
約2週間ぶりに会うがなんか・・・・かなりやつれている様に見える、てかやつれてる(笑)
まぁ人とあまり接する事の無い生活と
野郎の一人暮らしによく見られる栄養不足に
昼夜逆転を修正と逆戻りを繰り返せば、嫌でも痩せるわなぁー。
それに加えバイト先でうまくいかなくて落ち込んでしまった所から這い上がりきれず、半うつ病状態のままとくる。
そんな状態で私の所に寄り道をして行くその根性・・・・・。
すごいと同時にアホである。
自分を大事にしなさすぎるのだ、自分を労わることも時には大事だ
こっちとしても会えて嬉しい事は嬉しいのだが、素直に喜びきれない。(疲れてると言うのが目に見えてわかって痛々しい)
本当は、せめて今日は直接実家に帰って休んでまた後日と言う形で出てきてほしかったかな?
でも直接会って話すと言う事はかなり重要なのだというのを実感した一日だった。

大河ドラマ

2001年3月5日
NHK「北条時宗」本日放送分から渡部さん登場!
やはりかっこええわ、渡部篤朗。
この間BS−hiで渡部さんの特集(ドキュメンタリー)を放送していた
最近出た雑誌の写真撮影の現場、映画の撮影風景、もう永久保存版にしたいきぶんだった。
渡部さんは今や少ない「役者」だと私は思う
いや「役者候補」かな?
今が最高というわけじゃなく、これからも色々とやってくれそうだと言う予感を感じさせてくれる。
成長し続けることはかなり難しいことなんだろうけど、この人はやれると思うのだ。
他にもいいと思う俳優は、豊川悦司・堤真一(この2人は舞台出身だったかな?舞台畑の人はかなりいい線行く人が多い。)

今日はひな祭りである。
ふと気づくと何時の間にか雛人形が飾られていた。
母が飾ったようだ。
でも、お雛様とお内裏様の2体しかなかった
我が家の雛飾りは実際は7段あるのだが、真面目に全段出していたのは小学校4年までだったような気がする。
そして、出勤(?)の日でもある。
この依頼主さん、好きなようにしてくれていいと言っておきながら、色々と口出ししてくる。
はっきり言ってかなり鬱陶しい。
美術的なことに疎いお方に言われたくは無い
いろいろと提示してくれるのはいいがアドバイスにとどまってもらいたい、ほとんど命令に近いような強制力を感じるのだ。
こちらがこう言う風にするのはどうだろう?ということを一切受け付けないし、聞いたかなと思っても「まぁ聞いて」と言って流すし
「まぁ聞いて」やと?こっちの台詞じゃ!おっさん!!
店の名前も決まっていない?
何の屋台になるか決まってないだ?
普通そういう事は決めた上でコンセプトも決めてから店舗と言う物は発注するもんだろうが!
商売しょうという人間がそんな適当でいいのか?
何のために現役芸大生雇ったんや?
友達の知り合い筋に偶然いたからか?
いいものを作ろうと思ってこっちはやってんのに、こちらの意見は聞かない、好きにしていいと言いながらかなり口出しする。
こちらの言い分を聞いてくれた上での口出しはおおいに結構!歓迎だがね。
名前を車体に残していいとのことだったが、残してたまるものか。
もう、おっさん!一人で描けよ!


なんやねん(3)

2001年3月2日
本日、例のトラックお目見え。
予想通り・・・・・汚い。
かなり年季の入った保冷車のに右側面に・・・・・アルミ製の・ド・ア・が横向きになって、ちょうど扉が上向きに開くようについていた。
一番金のかからない方法である。
当初の私の思っていた物とは似ても似つかない代物だった。
私的には屋台と言うよりもオープンカフェに近いものにしょうと思っていたのだが・・・・・・それも不可能に近そうだ。
これは確かに全面変更が必要みたいやわ、おほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ・・・・(涙)
近頃、日記上において変な意味で笑う事が多い。
人間嫌な事、むかつく事があると怒ったりすることよりも笑うほうが多いような気がするのは私だけだろうか?

いつの間にやら

2001年3月1日
なってました三月。

そういや、雛人形出してないなー。てか、あれどこにあるんや?(笑)

よく人形出しっぱなしだと嫁にいけないだというけれど、出しもしない場合はどうなるんだろう?

それでもやっぱり嫁にはいけないんだろうか?

まぁ私自身、嫁に行く気なんて無い(名前変えたくない)からどうでもええんやけど(笑)



なんやねん!(2)

2001年2月28日
やっとこさトラックが出来上がり、塗装作業が出来るようになったとの知らせが来た。
出勤日(?)も決まった(金曜に)
だがしかーし!あれほど気に入ってらしたデザイン画をいきなり全面変更しろですと?
いままで私達がやってきた事って何やったんやつーねん!!
そんでもって工期は変更なしっぽいし・・・・・はははははははははははははははははははっはは(壊)
ちゃちい絵になっても私は知らないよー(笑)
ほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ?

なんやねん。

2001年2月26日
今日は例のトラックに絵を描く作業に入るはずだった。
デザイン画もほぼ決まってたし、ペンキがついて汚れてもいい服を着てきたのに・・・・・・
肝心なそのトラックが屋台用の改造が完了しておらず、目の前にあるのに作業に取り掛かれないトラック待ち状態。
やることが無いのでホームセンターに行って使用する塗料をどれにするかきめおおよその見積もりをして帰り
家から持ってきたポップコーンの素をカセットコンロにかけて作り
皆で食べながら雑談して終わった。
今日私は一体何しに来たのだろう?
次の出勤(?)日は未定(笑)と言うより向こうからの連絡待ちである。
また、何日か暇になりそうだ・・・・・。


理想主義者

2001年2月25日
私が「かすがい」だと?
大昔の人間みたいな事言わないでくれ

それは、私のおかげでこの呪縛から逃れられないのだと言っているのと同じなのがわからないのか?

そんな事言いながら「私にはここしか居場所がない」という。

確かに今ここ以外に居場所がないと言うのは、あなたのせいではない。
だから、あなたは自分がされてきた事、今までに遭ってきた事を絶対起こしたくはないと思った。

あなたの頭の中にはいつでも理想があった。

思った事を仲良く語り合い

互いに深く深く理解し合う隠し事も無い

何かあったらすぐに言う

まるで外人みたいな美しい関係を作りたかった。

そんな理想的な関係などありはしないのに。

誰だって秘密はあるし、知られたくない事だってある。

誰にだってその人それぞれの好みがあって、自分がこれは良いと思っても他の人にとっては違う事だってある。

自分はこれは正しいと思う事でもやはり人によって違う、と言うよりも同じであるはずが無い。

あなたはいつも口癖のように言っていた
「私の言うことさえ聞いていればあなたは幸せになれるのよ!」

あなたの言う幸せと言うのは[あなたの中だけの自分の幸せ]であって私の幸せじゃない

確かにあなたの言うことを聞くことによって私の幸せにつながる事もあるだろう。

だが、私はあなたのその口癖を聞くたびに従いたくない気持ちが湧き上がってきた。

あなたの口癖は私の為に言っているのではなく自分の為に言ってるのだ

そうやって自分を落ち着かせる
自分の理想にそぐわない現実の中で苛つく感情を抑えるように

あなたは私の付き合う友人がどんな子なのかよく聞いてきた。
そして悪そうな印象を受けると「関わらないほうがいいんじゃない?」とか言ったりもした

友達は選びなさいと言われてるようなものだ

だから私は大いにいろんな人間と話した、選んだ人間とだけ付き合うのはつまらないからだ。

そう今も

あなたの理想でいくと

私は地元の学校に実家から通い

実家の手伝いが出来るようなことを学び

自分の見えるところにいるはずだが

私は今、京都の芸大に通い

あなたの見えないところで暮らし

あなたの知らない人間達と語らい

あなたの理想と違う人間になる事を望んでいる
       __ 
「願わくは1980年に帰りたい」て言うくらい
この現実が辛いのならあなた間違った理想を捨ててごらん

きっと楽になるよ

見かたがかわるよ

違う幸せ見つけられるかもしれないよ

たぶん、むりだろうけどね。
我が大学生の寄せ集めのRPG製作企画チームに、某サイトで知り合いになった「ちかぽん」さんと言う音楽製作のプロ級の方が参加したいと言ってきてくださいました。
もう感動ものですよ。
正式メアドも教えてもらえる事にもなったし、これからが楽しみであると同時に私もとっとと絵を描くスピードを上げなきゃならないと言う現実を再確認した(笑)
あはははははははは、やべぇっす!

バイト

2001年2月23日
今日は思いもかけない、バイト話が舞い込んできた。
なんとトラックの側面に絵を描くバイトだ、しかも縦1.8M、横3Mと言うかなりのサイズだ今日は依頼主とのデザインの打ち合わせで終わった。
次の出勤(?)は月曜になった。

暇人?

2001年2月22日
今日は友人と共に組んでいるRPG製作企画チーム(この間、徹夜飲み会した連中)用の登場人物の原画を必死こいて描いていた。
なかなか製作スピードは上がらなかった。
ただ、あるキャラの色づけをして見たところ・・・・・かの赤い彗星みたいになっちゃった(笑)
いいのかなぁー、大丈夫かなぁー著作権。

PS2

2001年2月21日
PS2を京都に置いてきてしまった事を少し・・・いや、かなり後悔している今日この頃。
実家が日本47都道府県中有数のド田舎である事をすっかり忘れていた(号泣)
退屈・暇・一日が長い・することが無い・遊べる所が無い。私は18年間ここでどうやって生きていたのだろう?こんな退屈で死にそうな土地で・・・・・・。
19日にはちかみん達に遊んでもらってよかったが、なーんも予定の無い日がこれほど長いとはおもわなんだ。
ああFF8Disc3で止まってるし、聖剣伝説も2回目クリア目前でこれまた止まってるし(笑)あとPS2用のガンダム(CMに負けて買ってしまった(笑))もクリアしてないし。
もう、さめざめと泣いてやる!

帰省

2001年2月18日
今日、久しぶりに故郷に帰ってきた。
暖かい・・・・・てか、京都にいたころと同じ服を着てたら暑い(涙)
だが実家と言うものはいい物だ。
まず自分一人だっけで食事の準備・掃除・洗濯をしなくていい、それだけでちょっと感動してしまいそうになる(笑)
だが、こんな事言っている割には今までホームシックにかかったことが無い、なぜだろう?なんか忘れてる気がしてならない。
何を忘れているのだろう?思い出せん・・・・・まぁいっか。

酔いどれ日記

2001年2月17日
今朝九時半ごろ、我が部屋でくたばっていた私を含めて4人のうちの一人が某D大混声合唱団の練習の為にふらつきながら出て行った。
私は半寝ぼけ状態で「いってらさーい」と声をかけたのをかろうじて覚えている(笑)
残り3人はその後も爆睡し続け、ようやく復活したのは午後3時だった。あまりにも寝すぎだ、やはり日本酒は缶チューハイよりもきくようだった。(当たり前か)
その日初めての食事は午後4時だった(もちろん作ったのは私)なんという中途半端な時間だろう?昼食でもなければ、おやつでもないし夕食でもない(笑)あと今日夕食を摂取するべきかしないべきかとしばらく(10秒ぐらい)考えた。
「食べなかったらその分食費が浮く」・・・・・決定。
その後なんやかんやで一段落ついたら午後7時になっていた。今日は太陽を見ずに終わった(泣)

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